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ようこそ 西洋中世史/イタリア史/食文化に取り組む山辺規子のページです

科研の研究として

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このHPを作成したのは、もともと下記の科研の研究成果を明らかにするためであった。

2007年度~ 2010年度科研基盤研究(C)(19520633)

中世イタリアにおける支配者層の文化空間意識

  1. 研究概要
     本研究では、まずイタリア各地の都市について、実際に都市の称揚につながった都市の公共建造物、城壁、大きな教会(托鉢修道会教会、守護聖人の教会、司教座聖堂)などの景観を確認した。そのうえで、その景観の形成過程を調べ、さらにそれがいかに描かれているかを検討して、イタリア支配者層が持つ空間支配のありかたを示す。第二に、各都市に拠る支配者層が自らの支配権を誇示するために、職人や芸術作品、工芸品などの技術などを共有して、いわば支配者層の文化ネットワーク空間を構成することを検討した。
     
  2. 研究を始める背景
     これまで一貫して中世イタリアの支配者層が持つ文化的な側面、社会階層としての側面の共通性と、地域による差異性について検討をしてきた。これは、過去30年ほどにわたって、イタリア中世史において注目されてきた 社会を指導していく階層ceti dirigenti研究に対して、自分なりの像を描きだそうとしてきたことにほかならない。むろん、イタリアにおいても、同じceti dirigentiのありかたを取り上げるにしても、さまざまなアプローチがある。自分としては、下記の4つのアプローチから考察を加えてきた。

(1)イタリアの世俗支配者層の特徴として指摘される識字率の高さ、法学などの知識を持つ文化的側面に注目するアプローチ
この視点からは、ボローニャ大学で学んだ各地の法学者の経歴、文書作成の専門家ともいうべき公証人の各地での活動 に着目したが、このような文書作成に注目する手法は、文書館などで開催されるワークショップなどを通じて近年も多くの研究活動がなされている。

(2) 皇帝や国王、教皇などの上位権威との関係が微妙なために自生的に成立してくる貴族の家系的側面に注目するアプローチ
研究代表者は南イタリアのノルマン王国の貴族 、北イタリア最大の貴族であるカノッサ家 などに注目してきたが、近年ではミラノ大学などを中心に各地で宮廷を構成していく都市貴族のプロソポグラフィッシュな研究もおこなわれている。研究代表者は、都市の貴族として認められるべきと主張した法学者オドフレドゥスについて、その「家」文書が刊行されたのを機に検討したことがある このような研究動向も踏まえるべきことを認識している。

(3) 他都市へ任期付きの執政者職(ポデスタ、あるいはカピターノ・デル・ポポロ)に着任するために移動していく人々のありかたに注目するアプローチ
この点については、北・中部イタリア各地の都市のポデスタ/データを集約し、どのような地域の出身者が多いか、あるいはどのようなところまで、このような移動する執政官制度が広がっていたかを確認し、イタリア各地の共通性を洗い出した。

(4) 食を中心とする健康に関わる写本の流布に注目するアプローチ
イタリアが誇るパスタなど食文化に着目することで、イタリア各地の共通性を指摘できることは、食文化史の第一人者M.モンタナーリが示しているが、ここでは南イタリアのシチリア王国に入ってきた『健康全書Tacuinum Sanitatis』が、北イタリアのミラノやヴェローナなどの支配者の宮廷において図版付きの豪華写本として作成されるようになったことについて、写本の比較研究を通じておこなってきた。

 以上のようなアプローチは、ほぼ同時期に同じような関心のありかたを共有する国際共同研究がおこなわれていることから、まさしく国際的な関心のありかたに合致するものであったと考えている。
 一方、このような研究が共同研究としておこなわれるのは、国王が存在し中央集権的な志向を持つイングランドやフランスに比して、イタリアは、それぞれの地域が独自性を主張する地方史の集合体であり、イタリアにおける研究もまた、事実上それぞれの地域ごとの研究に深く根ざしたものであったからにほかならない。このような側面をよりよく理解するためにも、2004~2006年度には、基盤研究Bによる共同研究として、日本における中・近世イタリア各地の地方史を研究している研究者とともに、イタリア各地方の特質とイタリアとしての共通性を洗い出す作業をおこなってきた。
 その際に、自分のテーマとして、中世イタリアの都市支配者層が、都市空間をどのようにつくり上げ、どのように描かれることを期待してきたかという都市景観のありかたもまた、イタリアの共通性と差異性を考える際に有効なポイントであることを認知することができた。

  1. 研究方法

研究の方法
本研究が研究期間において明らかにしていこうとする研究方法の柱として、以下の4つを設定する。

(1) ローマを中心とする中部イタリアの諸都市の比較対照研究
既に論文「中世の教皇領」 「中世ローマの「塔」Torre delle Milizie」 (2005日本西洋史学会学会発表。論文としては刊行されていない)「中世ローマの城壁」 (平成17年(2005報告2007論文)を通じて、中世ローマにおける指導者層と塔や城壁との関係、さらにそのイメージについての検討を開始しているが、本研究においては、ローマ市そのものにおける政治的中心とローマ教皇が宗主権を持った教皇領内のヴィテルボ、ペルージャなどの諸都市、およびしばしば典型的なイタリア都市とされるトスカーナ地方の都市のありかたを比較対照する。

(2)北イタリアの諸都市の比較対照研究。
ロンバルディア同盟に加盟したような北イタリアの諸都市は、イタリア都市の代表的な存在とも位置づけられるおり、ロンバルディア地方における都市シンボル構築、都市のイメージ作りには共通性が指摘されている。この点について、具体的に従来十分に比較対照されていない現エミーリア地方、あるいは現東ピエモンテ地方の諸都市を含めて、都市景観を比較対照する。

(3) 南イタリア都市の比較研究。
中世中期においては、自立的な都市の指導者による都市拡大が続いていたのに対して、後期には統一王国になったがゆえに、その後の都市景観の変遷のありかたが変わっていく南イタリアの都市のありかたについて、できるだけ包括的な研究が望ましいが、少なくとも王国の中心となったカンパーニャ地方の諸都市を例にして検討をおこない、中部イタリア、北部イタリアと比較対照する。この地域を含めることによって、イタリア半島全体を見渡して論じることが可能になるかどうかが明らかになるといえよう。

 以上(1)から(3)においては、研究文献によって、いくつかの地域の支配者層の持つ地域意識を明らかにしつつ、北イタリア、中部イタリア、南イタリアの各地域の中で代表的な都市を抽出し、実地調査をおこなうことによって、都市の広がり、公共建造物、教会などのありかたを検証していくことを主たる研究方法とする。

(4) 『健康全書』写本特徴の研究。
中世後期のロンバルディア地方を中心とする地域には、支配者層の婚姻関係、建築・美術専門家グループによるネットワークも指摘されており、その意識共有の観点から、これまで進めてきた『健康全書』の写本の特徴を再検討する。

  1. 研究成果
    1)ローマ市内の実地調査。
     ①カンピドーリオの市庁舎(中世のSenato)
     ②アウレリアヌス市壁およびヴァチカン部分を囲む中世から近世にかけての城壁
     市壁が持つ歴史的意義について、ローマ大学建築学部P.Falini教授との意見交換をおこない、特にローマの政治的中心部と結ぶ南北軸が、ローマ支配者層にとって大きな意味を持っていた重要性を確認した。

(2)ローマ教皇領の実地調査
A-Lazio
①Viterbo ローマ近郊の教皇宮殿があるヴィテルボでは、教皇選挙もおこなわれた教皇宮殿と都市中心部との住み分けについて確認した。
②Anagni 教皇権を大きく揺るがしたアナーニ事件がおきた丘上の教皇宮殿と宮殿につながる大聖堂と中腹にあるコムーネ政庁の位置関係を確認した。
③Subiaco 聖ベネディクトゥスとアッシジの聖フランチェスコ修行の場として神聖視され、重要な二重修道院の建物と強い指導力を発揮した教皇インノケンティウス3世像を含むフレスコ画を確認した。
B Umbria 教皇領内だが自治権を主張する重要丘上都市において、都市を象徴する諸教会と都市政庁、主たる広場の位置関係について確認
①Perugia ウンブリア州の州都である丘上都市。丘の最上部に司教座聖堂とそれに向かい合うかたちでコムーネ政庁が位置し、少し下がったところに教皇の城砦がある。
②Assisi 
③Todi
④南部のNarni、Amelia、Foligno, Terniなどでも確認
 C Emilia-Romagna 
①Bologna 形式的には教皇領に位置するが、実際にはミラノを中心とするロンバルディア、あるいは中世前期にはビザンツ帝国の北イタリアにおける拠点の影響が強いうえに、大学の誕生によって独特の位置にあるボローニャについては、国立ボローニャ文書館のR.Rinaldi氏の協力を得て、文書館内の史料閲覧、中世前期の都市域の確認をおこない、守護聖人聖ペトロニウスに関する史料収集をおこなった。
②Ferrara 同じく近世には教皇領に取り込まれるが、中世からルネサンス期においてエステ家の宮廷文化の花が開いたフェラーラについて、エステ城と都市政庁、大聖堂と商業地区の位置関係を確認した。
D Benevento(Campania) 
教皇支配地の飛び地ベネヴェントについて、都市そのものの地理的環境および都市景観を確認した。
*なお、教皇領内では、ウンブリア州の中では重要な都市Orvieto、アドリア海側の旧ラヴェンナ総督領Exercatus (Ravenna)からPentapolisペンタポリスを実地調査対象に加える予定であったが実現できなかった。

(3)Toscanaトスカーナの都市
①Firenze フィレンツェについては、15世紀までは、共和制の都市としての称揚に努めたことで知られるため、その象徴としてのサンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂、シニョーリア広場および、16世紀にトスカーナ大公となるメディチ家関係の建造物の位置関係、建築様式の関連について確認した。
②Siena シエナはトスカーナ南部にあって中世前期の幹線沿いの丘上都市として中世の都市形態の保存状態のよいことで知られる都市であり、カンポ広場を中心とする都市政庁部分と大聖堂を中心とする部分及び城壁の常体を確認した。
③Pisa  ピサはアルノ川下流にあって、かつて港町として繁栄した時期に建設された大聖堂と付属施設のある地区とフィレンツェ支配につながる寡頭制支配を伝える建造物を確認した。 
④Lucca ルッカは中世前期のトスカーナの中心都市であり古代ローマ都市からの変化を読みとることができるとともに寡頭支配をおこなった都市貴族の城館を確認した。
*San Giminiano,サン・ジミニアーノ、Arezzoアレッツォを調査対象に加える予定であったが、今回は実現しなかった。

(4)北イタリアの都市 
A  Lombardia
①Milano ミラノについては、ミラノ大学文学部研究員Gentile氏の案内により、古代末期からルネサンス期に建造された建造物のありかたを確認した。
②Pavia e Monza旧イタリア王国の首都で戴冠式が挙行されるパヴィアと王冠が保管されているモンツァにおいては、権威の標章および主要教会を確認した。
③Comoコモ湖畔のローマ都市。アルプス以北との交通路に位置する。湖畔の大聖堂とコムーネ政庁を確認。
④Bergamo ミラノの北方に位置するローマ都市。近代的な下町と丘上にある中世からの町(大聖堂及びコムーネ政庁がある)、さらに最上部の城砦を確認。
⑤Brescia ミラノの北東部に位置するローマ都市。大聖堂、政庁とともに王権と結びついた大修道院Santa Giuliaを確認
⑥Cremona ミラノ南東に位置するローマ都市。2003年の調査結果を利用し、大聖堂を中心とする空間に注目した。
B Emilia・Romagna(歴史的には旧イタリア王国=ロンバルディア圏に属する西部の都市)
①Piacenza エミリア街道沿いの都市の中でももっともミラノに近いローマ都市。大聖堂は都市内で移動している。2003年に特徴的コムーネ政庁、ルネサンス期のファルネーゼ宮の位置関係を確認。
②Parma ローマ都市。2003年に中世前期の様子を伝える洗礼堂、大聖堂関連施設、近世パルマ公国の施設を確認
③Modena ローマ都市。守護聖人聖ジミニアヌス(サン・ジミニアーノ)を祀る大聖堂とコムーネ政庁、公国の支配施設を中心に都市景観を確認。
 C Piemonte(歴史的には旧イタリア王国=ロンバルディア圏に属する東部の都市)
①Asti もっとも早い段階で自治都市として誕生しつつ、ロンバルディア圏の諸勢力の勢力争いの場となった歴史を踏まえて、都市貴族の塔や城館、市壁に注目した。
*Mantovaマントヴァ、Novaraノヴァラ、Vercelliヴェルチェッリ、 Allesandriaアレッサンドリアなどを調査対象に加える予定であったが今回は実現しなかった。

(5)北西イタリアの都市
 A Piemonte
①Torinoトリノは、ローマ都市であるが、中世を通じて封建貴族の勢力下にあり、ルネサンス期から王国の首都として整備されたという歴史を持っており、都市景観については、ローマ都市部分と近世以降形成されたものが主体だが、これをつなぐ時代として中世を意識した調査となった。
②Ivrea,などについては都市そのもの位置関係を確認したが、都市内の景観を確認するにはいたらなかった。
 B Valle d’Aosta
①Aosta 典型的なローマ都市として知られるアオスタは、アルプス越えの基地となるため伯がおかれた都市で、中世以降も重要であり、ローマ都市部分を中心としながら、中世における支配体制を意識した調査をおこなった。
* GenovaジェノヴァなどLiguriaリグリア州の都市については、今回実地調査が実現しなかった。

(6)北東イタリアの都市
 A Veneto
① Venezia 中世に誕生したヴェネツィアは、ラグーナ(潟)の中で中心が動いたので、初期の状況を伝えるトルチェッロ島および司教座聖堂である聖ピエトロ教会、ヴェネツィアの象徴となった聖マルコ教会、政庁がるPalazzo Ducaleをはじめとするサンマルコ広場のありかたを確認した。
  また、ヴェネツィア国立文書館において同文書館員M.ダルボルゴ氏の案内により、各種関係史料を閲覧した。
②Treviso 自治都市から君主都市へさらにヴェネツィア支配に入った都市の特徴的な都市景観を確認した。
&color(,pink){''③Padova
④Verona''};
 B Udine
①Aquileia ヴェネツィアの東部にあって、古代に大主教座がおかれたアクイレイア、
②Gradoその後大司教座が遷座していったグラード、
③Udine ウーディネについて、司教支配の都市の特徴、および後世のヴェネツィア支配下における都市景観の特徴を確認した。
* アルプス越え東ルートの重要な司教支配都市Trentoトレント、ヴェネツィア支配下の重要な都市であるVicenzaヴィチェンツァを実地調査対象に加える予定であったが、実現しなかった。

(7)南イタリア(Campaniaカンパーニャ地方)の都市
①Napoli 通称ナポリ王国の中心となったナポリについては、古代ギリシア・ローマ時代の都市構造確認のため地下空間についても確認した。また、市内においては、ノルマン時代の卵城、アンジュー支配時代以降の王宮などの城館および司教座聖堂、都市中央部分に存在する大教会について確認調査をおこなった。
②Sorrento ナポリ湾に面したアマルフィ海岸沿いの都市。中世中期まで自治都市であり、通商で繁栄したことについて、都市そのものの位置、中心広場と大聖堂、コムーネ政庁の関係を確認。
③Amalfi アマルフィ半島南面に位置する都市。ビザンツ支配のもと海上活動で繁栄した独立共和国であり、都市そのものの位置、その歴史を伝える大聖堂、都市上部に位置する城砦を確認。
④Salerno ナポリの南に位置する。中世前期にはランゴバルド系侯国として繁栄し、11世紀末から12世紀にかけてはノルマン支配の半島部分の中心都市とされることを伝える大聖堂を中心とする旧市街を確認。
* 今回の科研期間においては、カンパーニャ地方の調査をおこなうこととしており、最重要都市については確認したが、中世後期に封建諸侯が拠った都市については確認できなかった。また、南部の王国を構成したアドリア海沿岸地方、シチリア島の都市に関する調査は、今回は実現しなかった。

以上の(1)~(7)において、イタリア各地の都市の実地調査を可能なかぎり実施した。この調査結果は、ホームページにおいて公開していたほか、『地中海ヨーロッパ』 における都市の歴史論に反映させた。実地調査を実施できなかった都市については、一部かつて訪問したときのデータを用い、今回は文献のみによるが、総合的で精緻な結果を得るためにはさらに補充調査が必要であり、その実地調査を平成23年度以降新たなかたちで計画する。
これまでのイタリア中世都市の景観を歴史的にとらえる研究は、個々の都市、あるいはせいぜい一地方に限られており、これほど広範な領域について実際に都市における景観を確認しながら空間意識を考察するという試みは包括的な研究として意義あるものといえる。ただし、描かれた都市像については、この点は十分な考察を得るにはいたらず、今後の課題として残った。

(8)『健康全書』写本の比較については、この間にファクシミリ版 が刊行されたフランス国立図書館所蔵のMs. Lat 9333及び宮廷文化の共有を通じてアルプス以北にもたらされたTacuinum Sanitatis原本の写本がラテン語およびドイツ語で刊行されたものの再版 を入手して、原本の整理された情報を確認した。

また、従来Rouen本と呼ばれていたものと近年競売にかけられた写本(現在の持ち主は伏せられている)が同一写本であることを確認したほか、普及版と呼ばれる簡易写本の広がりについても確認した。これにより、豪華写本、内容を伝える写本とインキュナブラ、普及版写本の広がりにより、文化の地理的、階層的な拡大を指摘できることを確認できた。
なお、この内容については、依頼をうけて味の素食の文化センター刊行の雑誌『VESTA』に連載した。

  1. 研究成果の発表論文等

〔雑誌論文〕(計5件)
①山辺規子「見知らぬ食との出会い」『VESTA』(査読無(依頼稿))、第70号(2008年)58-61頁。
②山辺規子「ローマの城壁」『奈良女子大学21世紀COEプログラム 古代日本形成の特質解明の研究拠点報告集 古代都市とその形制』(査読無)、第14号、2007年、120-136頁。
③山辺規子「西洋のオリジナル・ダイエット」『VESTA』(査読無(依頼稿))、第69号(2007年)、44-49頁。
④山辺規子「ロマンスと食―中世ヨーロッパ世界から」『VESTA』(査読無(依頼稿))、第68号(2007年)、46-51頁。
⑤山辺規子「西洋の伝統における健康バランス」『VESTA』(査読無(依頼稿))、第67号(2007年)、54-59頁。

〔学会発表〕(計1件)
①山辺規子「西洋中世の貴族の「家」維持と<母>機能》」(比較家族史学会2008年秋季研究大会)、2008年11月8日、椙山女学園大学。

〔図書〕(計3件)
(うち翻訳1冊 フォーラム記録1冊 かたちをかえて一部改訂1冊 編著2冊)

①『地中海ヨーロッパ』朝倉書店、2010年2月、竹中克行/周藤芳幸との共編著、480頁)なお、分担執筆部分は以下のとおり
  第2章歴史的世界としての地中海世界
   2.4 ギリシャ正教とローマ・カトリック 75-81頁
   2.5 中世ヨーロッパ世界とイスラーム政界
    2.5.1十字軍 文化交流 82-86頁
第3章 都市的世界として地中海世界―都市からみる地域の諸相―
    3.1 地中海世界の都市133-142頁
     3.1.1古代地中海世界の都市
     3.1.2中世地中海世界の都市
     3.1.3近代都市
    3.5 パレルモ158-162頁
    3.7 ローマ164-170頁
    3.10 ボローニャ178-180頁

②『ノルマン騎士の地中海興亡史』白水社、1996年5月、268頁。 (2009年5月 Uブックスとして刊行 325頁)

③『イタリア都市社会史入門』昭和堂、2008年7月(齊藤寛海、藤内哲也との共編著、296頁+xxxiii

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